ナポレオンはフランス革命の時流に乗って皇帝にまで上り詰めたが、彼が鼓舞した諸国民のナショナリズムによって彼自身の帝国が滅亡するという結果に終わった。
一連のナポレオン戦争では約200万人の命が失われたという。その大きな人命の喪失とナポレオン自身の非人道さから国内外から「食人鬼」「人命の浪費者」「コルシカの悪魔」と酷評(あるいはレッテル貼り)もされた。軍人、小土地自由農民とプチブルジョワジーを基盤とするその権力形態はボナパルティズムと呼ばれる。ナポレオンによって起こされた喪失はフランスの総人口にも現われた。以後フランスの人口は伸び悩み、イギリス・ドイツなどに抜かれる事となった。1831年には、フランス軍の夥しい喪失からフランス人からの徴兵は止めて多国籍によるフランス外人部隊が創設される事になった。
ナポレオンの後に即位したルイ18世とその後のシャルル10世は、ナポレオン以前の状態にフランスを回帰させようとしたが、ナポレオンによってもたらされたものはフランスに深く浸透しており、もはや覆すことはできなかった。王党派は、1815年の王政復古から、反ボナパルティズムを取り、数年に渡り白色テロを繰り返した。王党派とボナパルティストとの長き対立と確執は、フランスに禍根を残すことにも繋がった。ウィーン体制による欧州諸国の反動政治もまた、欧州諸国民の憤激を買い、フランス革命の理念が欧州各国へ飛び火して行くことになる。
その一方で産業革命などによって急速に個性を喪失していく中において、全ヨーロッパを駆け抜けたナポレオンをそのような時代に対する抵抗の象徴として「英雄」視する風潮が生まれた。ゲオルク・ヘーゲルが「世界理性の馬を駆るを見る」と評し、フリードリヒ・ニーチェが「今世紀(19世紀)最大の出来事」と評した。その一方で、こうしたナポレオンを理念化されたナポレオンであって現実のナポレオン像ではないとする人々もいた。ベートーヴェンがその楽譜を破いたとされる故事はそうした背景を象徴するものであると言われている。
1840年に遺骸がフランス本国に返還されたことでナポレオンを慕う気持ちが民衆の間で高まり、ナポレオンの栄光を想う感情がフランス第二帝政を生み出すことになる。
ナポレオンの功績 [編集]
ナポレオンが用い、広めた法・政治・軍事といった制度はその後のヨーロッパにおいて共通のものとなった。かつて古代ローマの法・政治・軍事が各国に伝播していったこと以上の影響を世界に与えたと見ることもできる。
ナポレオン法典はその後の近代的法典の基礎とされ、修正を加えながらオランダ・ポルトガルや日本などの現在の民法に影響を与えている。フランスにおいては現在に至るまでナポレオン法典が現行法である。アメリカ合衆国ルイジアナ州の現行民法もナポレオン法典である。
軍事的にもナポレオンが生み出した、国民軍の創設、砲兵・騎兵・歩兵の連携(三兵戦術)、輜重の重視、指揮官の養成などは、その後の近代戦争・近代的軍隊の基礎となり、プロイセンにおいてカール・フォン・クラウゼヴィッツによって『戦争論』に理論化されることになる。
政治思想史に於いてもフランス革命の理念(自由、平等、博愛)がナポレオン戦争によって各国に輸出されたという事も見逃してはならない。
道路の右側通行がヨーロッパ全土に普及したのもこの頃である(イギリスは占領されなかったので左側通行のままとなっている)。
「輜重の重視」という方針を実行する過程において、軍用食の開発のために効率的な食料の保存方法を広く公募する事も行い、そこで発明されて採用されたのがニコラ・アペールが発明した「瓶詰」である。「瓶詰」そのものは加工の手間がかかり過ぎて普及しにくかったものの、ここで発明された「密封後に加熱殺菌」という概念が、後に「缶詰」(1810年イギリスにて発明)などの保存食の大発展へと繋がっていく。
ナポレオンの大陸封鎖令(対イギリス経済封鎖)によって砂糖価格が暴騰した結果、ビート(砂糖大根)からの製糖が一気に普及した。
1790年3月に国民議会議員であるシャルル・モーリス・ド・タレーラン=ペリゴールの提案によって、世界共通の新しい長さの単位を創設することが決議された。それを受けて1791年に、地球の北極点から赤道までの経線の距離の1000万分の1として定義される新たな長さの単位「メートル」が決定され、質量もこのメートルを基準として、1立方デシメートルの水の質量を1キログラムと定めた。ただフランス国内でさえ既に使われていた単位系があったため使用には反対が多くすぐには普及しなかったが、ナポレオンの進軍により一定の普及の効果はあったかもしれない。
短い期間ではあったが、ナポレオンに支配された諸国は、急激な変化を経験した。ナポレオンは、各地で領主の支配や農奴制を打破し、憲法と議会をおき、フランス式の行政や司法の制度を確立した。そして、フランスと同様の民法が移植されていった。長くフランスの支配をうけた地域では工業化がはじまり、19世紀にはヨーロッパの先進地帯となっていくのである。また、ヨーロッパの諸民族は、他民族からの解放や民族の統一をまなび、列強の君主たちはナポレオン退位後にヨーロッパ社会をフランス革命以前にもどそうとしたが、そのときには既に社会のしくみは変化しており新しい政治勢力が生まれていたのである。
ナポレオンが日常よく口にした言葉とされ、一般には「余の辞書に不可能の文字はない」として知られている。元は「不可能と言う文字は愚か者の辞書にのみ存在する」という言葉だったという説もある。また、他にも「フランス人は不可能という言葉を語ってはならない」という説もある。実際にナポレオンが口にしたかどうかは定かでなく後世の創作ともいわれる。
ナポレオンに関する逸話 [編集]
ベートーヴェンの「英雄」 [編集]
ナポレオンを人民の英雄と期待し「ボナパルト」と言う題名でナポレオンに献呈する予定で交響曲第3番を作曲していたベートーヴェンは、失望してナポレオンへのメッセージを破棄して、曲名も『英雄』に変更したという逸話が伝わっているが、この逸話が事実であるかどうかについては異説も多い。ベートーヴェンは終始ナポレオンを尊敬しており、第2楽章が英雄の死と葬送をテーマにしているため、これではナポレオンに対して失礼であるとして、あえて曲名を変更し、献呈を取りやめたのだとする逸話や、定説とは逆に、実際に献呈すべく面会を求めたが全く相手にされず、その怒りから改題し上記の定説を友人に話したという、作曲家の地位向上の境目の時代を意識したような逸話も存在する。
ナポレオンには数多くの逸話が存在するが、後世の創作といわれているものが多いとされている。* 一日三時間しか寝なかった話が有名だが、彼は昼寝をしっかりと取っていた。
王であり軍神という偶像化された自分の立場の重い責務でストレスを溜め、夜遅くまで酒を飲み、脂っこい飯を食べ、昼に眠るという生活が死期を早めたと思われる[要出所明記][10]。これは清の雍正帝とも共通している。一方、同じく多忙な英雄のチャーチルも国会議事堂にベッドを置くほどの昼寝好きだったが、こちらは91歳の長寿を全うした。
ジャック=ルイ・ダヴィッドによるアルプス越えの絵画でナポレオンが乗っているのは白馬だが、実際に乗っていたのはロバだった(その際隣に案内人もいた)。
ブレザーなどの袖についているボタンは、ナポレオンがロシア遠征の際に、兵士達が袖で鼻水を拭えないようにするために付けたのがはじまり。
孫子の兵法を愛読していた。
乗っていた馬はアイルランド産。
痔に悩まされていた。
エルバ島から脱出しパリに戻る道中で好んで食べていたのは目玉焼き。
友人に宛てて書いた手紙があまりの悪筆で、戦場の地図と間違えられたことがある。
2回自殺未遂をしたことがあった。
シャンパンを入れた風呂に入っていた。
妻のジョゼフィーヌに、毎晩本を読んでもらうのが日課だった。
読書好きで有名だったが飽きっぽい性格の為読破した本は殆ど無かった。ただしゲーテの「若きウェルテルの悩み」だけは例外で生涯に7度も読んでいる。
臭いフェチだった。例として戦場から恋人に、「今から帰るから、風呂にだけは入るな」という手紙を書いたこともあった。ちなみに、ナポレオンが寝ているところに鼻先にブルーチーズを持って行ったところ、ナポレオンは「おお、ジョゼフィーヌか」と起床したという。
音痴だった。
当時としては珍しいギター弾きであった。
暗殺されるのを恐れ、自分で髭を剃っていた。
一定時間その場所にいられなかったほど落ち着きが無かった。(ADHD説がある)
胃下垂だった。
疥癬に罹っていた。若い頃に最前線で部下の兵士にうつされたらしい。
左手にコインを持って、右手のフライパンで焼けたクレープをうまくひっくり返せたら1年がうまくいくというクレープ占いにハマっていた。そして、1812年2月2日、クレープ占いに挑戦し、5枚目に失敗。その年、彼はモスクワ遠征に失敗し、退却する際「余の5枚目のクレープだ」と呟いたという逸話がある。
数学好きとして知られるナポレオンは、側近に数学者を置いて数学の勉強を続けた(フーリエなど。また、ルジャンドルやラグランジュとも親交があった)。ナポレオンが発見したとされる(諸説あり、真相は定かではない)、ナポレオンの定理という物がある。
背が低いとされ、バーゼル大病院のリュグリの研究によると身長167cmと推定されている。それはしばしば文学や演劇のネタにされてきたが、当時のフランス人の平均身長は兵役検査の資料から160cm以下とされるので、実は低くないと言うことになる[11]。
帽子を戦闘中に撃ち抜かれたことがある。背がもう少し高ければ、戦死していたかも知れない。
鶏肉を好み、特に若鶏のマレンゴ風が好物だった。これはマレンゴ会戦の勝利後、シェフが現地にて即席で創作した料理である。
妻ジョセフィーヌの愛犬フォーチュン(パグ)にジョセフィーヌのベッドに入った時にかまれたことがある。
エジプトに遠征した折、ピラミッドの下で「兵士諸君、ピラミッドの頂から、四千年の歴史が諸君を見つめている」と言って兵士達を鼓舞したという。このとき仏軍はスフィンクスの標的にして大砲を打ち込んで、一部を打ち壊してしまったとされる。
癲癇持ちであったと言われている。一日三時間しか睡眠を取らなかったと言われるのは、夜間に発作が起きたからだと言われている。イタリアの学者チェーザレ・ロンブローゾは、著書「天才論」で、ナポレオンの癲癇の症状を指摘し、天才と癲癇との関連性を説いた。「天才と狂人は紙一重」という言葉はここから生まれたと言う。
新しく雇った秘書の前でいきなり延々と自らの政見を述べ、述べ終えた後前文を書くことを求め、出来ないと拒絶されると激怒し即日解雇にしてしまった。独り言のように政見を延々と述べる癖があったらしく、しかも内容は思いつきと勢いで述べられており、秘書は最大五百枚の原稿を筆記したという。その上ナポレオンのすさまじい仕事量についていけず、生涯に次々と秘書を使いつぶしては新しく雇うという有様だった。
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