姫路城の天守は江戸時代のままの姿で現在まで残っている天守の一つであり、まさしく姫路の象徴である。
姫路城の天守は姫山の頂上に設けられた天守台の上に、1580年(天正8年)の春、羽柴秀吉が(現在の大天守の位置に)三重天守を構えたのが始まりである。その後池田輝政によって解体、用材は乾小天守に組み直されて現在に姿を残している。
どんどん橋 バンケット ドラント カステラ セルフ ターン トーチカ ピアサポタ リーバス クロラール キッチ かほく ビジター スピカ 大地の景色 モンゴル 真昼の月日 ドス上位 オーバリ マグネ クロマト モンタント やんぐこ セレス カウハイド ハナショ たそがれ フカロッ ヒノキ ベット カリス マニキ こちんだ バイサイド ラフ アウト タイガー キュラ やまびこ ブーム 大冒険 スケット トランス ハーレム クライ ジンマカオ バック ロスマリン キレイ モアイ
天守の構造は、天守台上に5重6階、天守台中に1階(計7階)(5重6階地下1階・5層6階地下1階)の大天守、3重の小天守3基(東小天守・西小天守・乾小天守)で構成され、天守の間を2重の渡櫓で結んでいる。この構成を「連立式天守」という[27]。入母屋造りの建物を基部とする望楼型天守で、建設時期や構成からさらに後期望楼型に分類することがある。全体が白漆喰総塗籠(しろしっくい そうぬりごめ)の大壁造で、防火・耐火・鉄砲への防御のための構造に加え、美観を兼ね備えるためのものであると考えられている。天守を支えるために、各階の屋根を少しつづずらし、重さを分散させている。地下から6階床下まで大天守を貫く心柱は東西に2本あり、太さは根元で直径95センチメートル高さ24.6メートルの木材が使用されているが、うち、西大柱は従来の材が継がれたものであったため一本材に取り替える際に折れたため3階床下付近で継いでいる。
その外観は、ほかの城の天守と比較しても多様性に富む。屋根の外見も大きく、緩やかな曲線を描く唐破風(からはふ)、山なりの千鳥破風(ちどりはふ)、複数層にまたがる大入母屋破風といった具合である。ほとんどの窓は、最上階を除いて格子がはめ込まれているが、大天守2重目南面では唐破風下に出格子(でごうし)を設けている。また、釣鐘のような形の華灯窓(かとうまど)を西小天守、乾小天守の最上階に多用している。華灯窓は同様の後期望楼型天守である彦根城天守や松江城天守などにも見られる。乾小天守の華灯窓には、「物事は満つれば後は欠けて行く」という考え方に基づき未完成状態(発展途上状態)を保つため格子を入れていないという。
大天守の内部は、地下にはトイレや流しを設け台所を付属させ、地上1階・2階は同様の構造で、身舎の周りに武者走りを廻し、鉄砲や槍などが掛けられる武具掛が付けられている。3階も武者走りがあるが、それに加えて破風部屋と武者隠(むしゃがくし)と呼ばれる小部屋が数箇所設けられている。また、石打棚(いしうちだな)という中段を窓際に設けて、屋根で高い位置に開けられた窓が使えるように高さを補っている。4階にも同様に石打棚がある。5階を経て、最上階は部屋の中央に柱を立てず、書院造の要素を取り入れ長押や棹縁天井など住居風の意匠を用いている。
姫路城の天守は姫山(標高45.6m)の上に建っており、姫路城自体の高さは、石垣が14.85m、建物が31.5mなので合計すると海抜92mになる。天守の総重量は、現在はおよそ5,700tである。かつては6,200tほどであったとされるが、「昭和の大修理」に際して過去の補修で充てられた補強材の撤去や瓦などの軽量化が図られた。今日では天守内には姫路城にまつわる様々な物品が展示されている。
西の丸 [編集]
西の丸には現在は渡櫓とこれを結ぶ長局(ながつぼね)、そして、その北端に位置する化粧櫓のみが残っている。長局には侍女達の部屋がある。化粧櫓は本多忠政が伊勢桑名から移ってきた時に、千姫の化粧料10万石で1618年(元和4年)に建てられたものである。千姫は西の丸内に設けられた中書丸(天樹院丸)と三の丸脇の武蔵野御殿に住んでいたが、いずれも現在は失われている。戦前の修理までは、化粧櫓にはその名の通り当時の化粧品の跡が残っていたという。